今月のことば

2006年12月

三楽(さんらく)

千葉 翠   

 岩手県柔道連盟会長に就任して以来、三回目の巻頭言を求められた。
 第一回目の内容は、終戦を境とした柔道を戦前派と戦後派に区分したとして、自分の柔道界における立場ないし位置についてどう確認すべきかについて述べた。
 第二回目は柔道人として、或いは一社会人として、道を求めようとするとき、持つべき心構えとして「トモを取る」という三陸沿岸の漁師の知恵を紹介した。
 第三回目となる今回は、一つの言葉を上げてみたい。それは「君子の三楽」という言葉である。

 曰く、君子の三楽とは
・父母ともに存し、兄弟に事故なく
・仰いで天にはじず、俯して人にはじぬこと
・天下の英才を得てこれを教育すること
というわけである。
 出典は孟子とされるこの言葉は明快な論旨と軽快なテンポがあって、好きな言葉の一つとなっている。
 論旨に従って考えてみれば、我々にとっても日々の暮らしに事故がなく、家内安全であることは喜ばしい限りである。
 次いで己の行いが天地のどこを向いていてもはじることがないこと、つまり厳しい自律精神の保持で、ひと頃話題となった「自己中」とは対局をなす思想である。
 そして三楽の極みは天下の英才を得てこれを教育することにあるという訳である。
 何の道でも同じであるが、自分という個人を発展成長させるのは比較的易い。
 しかし、自分の考えをその後を継ぐ者達へ伝承していくことはかなりむずかしい。
そのむずかしさを表そうと「薪をもって火を伝う」とか「薪を示して炎を伝う」と使われているのかも知れない。何れにしても天下の英才を見つけ育成することの難しさを表していることには違いない
 柔道のお陰で色々な世界を見ることが出来、沢山の方々にも会えたし、話も聞くこともできた。
 そういう意味で次の話は英才教育につながると思われるので紹介する。
 大分前の話である。或る選手が世界選手権大会で二連覇を果し、地元で祝賀会が開かれたとき、或る先生がお祝いとして述べた話である。
 「世界チャンピオンおめでとう。今回の二連覇は実に良くやった。しかし手放しで喜んでばかりも居られない。それはチャンピオンは生まれたが、その人が人格識見ともに揃った真のチャンピオンかと云うとそうはいかない。大会が一つあれば優勝者は一人出る。だが全ての優勝者が真の優勝者かと云うと必ずしもそうとはいかないだろう。だから真のチャンピオンになるには今後の勉強が大切で、全ては今日から始まると思って王道を目指すべきだ」と極めて辛口な話である。
 今、柔道界は「柔道ルネッサンス」を主柱の一つとして動いているが、子殺し、親殺しが平然と行われる現世にあって、かくありたいと思うのが三楽の世界である。
 そういう思いは古く捨てられるべきものなのか、世間の柔道修行者の皆さんに問いたい。

(岩手県柔道連盟会長)