logo logo

山下泰裕八段による「柔道ルネッサンスについて」の講演内容

「柔道ルネッサンス」について

山下 泰裕       

山下氏写真

 ただ今ご紹介いただきました講道館・全日本柔道連盟「柔道ルネッサンス」の委員長をしております山下でございます。今日、講道館段位推薦委託団体会長会議の場におきまして「柔道ルネッサンス」について或いは私の柔道人生について話す機会を与えていただきましたことを非常に光栄に思っております。昨年4月の全日本選手権では、「古式の形」演武の大役を仰せつかったのですが、その時に勝るとも劣らない位の身の引き締まる思いでおります。

 今日はまず、私自身の柔道人生を通しての「柔道ルネッサンス」への思いを話させていただきました後「柔道ルネッサンスでの取り組み」について説明させていただきたいと思っておりますが、まずこの様な場を与えていただきました講道館の先生方に心から感謝とお礼を申し上げたいと思います。

私が柔道を始めたのは小学校4年生の時です。小学校へ入学した頃には小学校6年生並の身体をしており、元気が有り余って周りに迷惑ばかり掛けていました。小学校4年生になった時にはクラスメイトの中で、私がいるから学校に行きたくないと、登校拒否を起こす者が出るような状況でした。そういう中で両親がこのままでは家の息子が大変なことになるのではないか、人様から後ろ指を指されるような人間になるかもしれないと心配して、私に柔道を勧めたのがきっかけであります。私が最初に柔道を習った先生は、もう亡くなられましたが、熊本県警を定年で引退された後、私の生まれ故郷に道場を開いておられました。両親は「柔道は単に勝ち負けを競うだけではない、体力を身に付けるだけでもない、精神を磨く、柔道をやれば少しは他人に迷惑を掛けないような子供になってくれるのではないか」そんな思いで先生の所にお願いにいったそうです。こんな事から始めた柔道ですが、元々元気が有ります。柔道衣を着て帯をしめ、先生の言われる事とル-ルを守れば、後は幾ら暴れ回っても誰からも何とも言われない。柔道は私の有り余る闘争心に対応し、柔道が好きになりだんだん夢中になっていきました。しかし、残念ながら小学校時代は遊びの延長としてやっておりましたので、柔道をやったから私の行いが良い方へ変わるということはございませんでした。実は、ロサンゼルスのオリンピックで優勝した後、生まれ故郷へ帰ったときに、小学校時代の同級生がたくさん集まって、御祝いの会をやってくれました。そして最後に、記念品として一枚の表彰状をくれました。こう言うことが書いてありました。「表彰状 山下泰裕殿 あなたは小学生時代、その比類稀なる体を持て余し、教室で暴れたり、仲間をいじめたりして、我々同級生に多大な迷惑をかけました。しかし今回のオリンピックにおいては、我々同級生の期待を裏切るまいと持ち前の闘魂を発揮して見事金メダルに輝かれました。このことはあなたの小学生時代の数々の悪行を精算してありあまるだけでなく、我々同級生、心から誇りとするものであります。よってここに表彰し、偉大なる”やっちゃん”に対し、最大の敬意を払うと共に永遠の友情を約束するものである」。

本当にここに書いてある通り悪かったんですね。そんな悪かった私が、真剣に柔道に打ち込んでいく中で少しずつではありますが、変わっていったわけです。熊本市内の中学校に入りました。熊本市立藤園中学校、ここで柔道の素晴らしい恩師、白石先生と出会います。ちょうど私が中学一年生のときに第一回の全国中学生大会が開かれました。藤園中学校は第一回から第三回まで三連覇しております。私が一年生のときは、タオル・ハンカチ持ちで、二年生のときは夢であった、憧れの講道館の大道場で試合をして、多少でありますけれど優勝に貢献できたんじゃないかなと思っています。非常に柔道の強い、中学柔道界では天下無敵の柔道部に入ったのですが、ここで白石先生が我々に教えられたのは試合で勝つ為の技術、体力、戦術だけではありませんでした。人間としての在り方、心構え、柔道の道、これを我々に繰り返し繰り返しお話してくださいました。実は、小学生のときは、親の言うことも先生の言うこともろくに聞かない非常に悪い子供でした。ただ柔道は好きだったんです。柔道は強くなりたかった、だから柔道の白石先生のことだけは、私にとって天の声、神の声だったんです。この先生に言われることをしっかり聞いておけば必ず強くなれる。白石先生が私たちにどんなことを言われたか。まず最初に繰り返し言われたのが、「柔道を一生懸命にやることで、強くなるだけではなく、相手を思いやる心、助け合う気持ち、我慢すること、ルールを守ること、力を合わせること、こんなことを皆は学ぶはず、これは学校の勉強では学べないけれど、みんなの人生にとって非常に大事なこと。しかし、みんなが柔道だけ一生懸命に頑張って、勉強を頑張らなかったら、柔道は完璧になれるかもしれないが、柔道を通して得たものを人生で生かして、人生の勝利者になることは難しいだろう。柔道にとって一番大事なことは、単に柔道のチャンピオンになることではない、柔道で学んだことを生かして人生の勝利者になることだ。社会に出て可愛がられる人間に、役に立つ人間に、活躍出来る人間になること、これが大事なんだよ、このこととみんなの練習は繋がっているんだよ、だから柔道だけではない、勉強もしっかり頑張らなければいけない、そして人生の勝利者を目指していきなさい」。これだけの話を、私たちにわかりやすくお話してくださいました。文武両道、そして柔道を通して人生の勝利者を目指せ。今でも強く心に残っています。

それから先生はこんなことを言われました。「柔道が強くなるために一番大事なことは、人の話を素直に聞ける人間になることだ。この気持ちを強くなるためには持ちなさい。持ち続けなさい。中学の試合にいってみろ、見かけるだろう。高校生、大学生、社会人、警察官、ちょっと勘違いしていて"俺は強いんだ"と言わんばかりに偉そうに歩いているグループが。いいか、勘違いするな。彼らは一流でもなければ一流半でもない、二流、三流だ。そして、俺は強いんだと思い込んでいる人間にそれ以上の成長はないんだ。そんな人間だけにはなってほしくない。強くなればなるほど、自分の強さを示さない。そんな人間になってほしい。そして本当の強さを求めれば求めるほど、優しさが滲み溢れてくるものだ」。私は「強くなればなるほど優しくなれる」この言葉が大好きです。これから、出来れば私の体の中から優しさが滲み溢れる、そういうふうに見られるような人間になりたい、なれたらいいな、こう思っています。

この中学時代から私は少しずつ変わっていきます。大学は東海大学体育学部武道学科へ進みました。ここに進んでよかったと思うことのひとつは、武道学科の柔道コースですから、柔道創設者、嘉納治五郎師範について、しっかり学ぶことが出来た。中学時代の先生の教えと、大学で嘉納治五郎師範についてしっかり学んだこと、これが私の今の柔道ルネッサンス活動のエネルギーの根源になっているような気がします。話は変わりますが92年、バルセロナオリンピックがありました。その後、この4月から全日本柔道連盟の専門理事になられました上村春樹先生の後任として全日本男子柔道監督を拝命しました。そしてアトランタ五輪まで8年間、日本代表チームの監督を務めました。この8年間全日本の監督として、我々の目指したものは、最強の選手づくりではありません。我々が目指してきたものは最高の選手づくりです。そんなことを言える資格が自分にないことは分かっておりますが、選手たちがたびたび話しました。「ここに集まってきているのはただ柔道が強いだけの選手ではない。日本で最高の選手だよな」よくそんな話をしました。強いだけではなく、日本代表に相応しい選手に育ってほしい。そんな気持ちで選手たちを指導してきたつもりです。

 いくつか選手に関しての思い出を話させて頂きます。2000年5月には大阪でオリンピック代表を決めるアジア選手権大会が開かれました。大会が終わった後、いつも柔道の会場は当時汚かったんです。ですから選手を集めて当時の最年長が中村兼三だったんですが、「兼三、今からみんなでゴミ拾って会場を綺麗にしようか」と話しましたら「いえ、みんなでやりました」そう言ってくれました。瀧本が、シドニーオリンピックでは素晴らしい試合で優勝をするのですが、この時には一番最後にギリギリで代表を取りました。アジア大会後に合宿を行ったのですが、オリンピック代表になったにもかかわらず、瀧本からは全く意気込み意を感じられませんでした。ある日の朝5時ごろ目が覚めてトイレへ行きました。そしたら誰かが一生懸命スリッパを並べているんです。嬉しかったですね、安心しました。振り返ったのは瀧本でした。そして恥ずかしそうに駆け足で自分の部屋へ戻っていきました。オリンピックでは初日に野村が素晴らしい試合で二連覇しました。私はまさかアテネで三連覇するとは思いませんでしたが、是非とも四連覇して欲しいなと願っております。野村が初日に優勝して、宿舎に帰ったのは夜中の三時頃でした。そして次の日の中村行成の試合のときには、約束の時間までにしっかり準備して、彼は疲れた身体を押して稽古場に来ました。中村行成は残念ながらメダルに手が届かず負けてしまうのですが、負けた中村行成が控え室に入ってくると、その後ろから野村がペットボトル、ジャージやバスタオルを持ってついて来るんです。中村ががっかりしながら柔道衣を脱いだのですが、その後ろで中村が脱いだ柔道衣を野村がもの凄く丁寧にたたんでいました。今まであんな丁寧に柔道衣をたたんだ姿を見たことがないです。宝物を扱うように、いとおしく、大事にたたんでいる。その姿を私と、細川、西田の三人で目にしました。我々もがっかりしたのですが、その姿を見て三人で話しました。「アトランタオリンピックで優勝した後、怪我があったり、辞めたいと思ったり、いろんなことを乗り越えてきた野村、強さだけではなく人間的にも一回りも二回りも素晴らしくなった。柔道衣を丁寧にたたむあの姿を野村の試合以上に日本の柔道家に見せたいな」そんな話をしたことを、つい先日のように思い出します。

 篠原は一生懸命頑張ったのですが、誤審で残念ながら銀メダルに終りました。終った後の記者会見、篠原はこう言いました。「自分が弱いから負けたんです。審判に不満もありません。」言いたいことはいっぱいあると思います。それと同時に彼の心の中には、「一本」ではなく例え相手のポイントになったとしても、残り時間が三分半あった。俺に本当の力があったら、三分半で逆転できた。負けたのは俺に本当の力がなかったからだ。そういう思いもあったのではないかと思います。あれが日本人でなければ、他の国の選手なら多くのマスコミを前にして、ビデオを見せながら涙を流しながら全身の手振り身振りで世紀の大誤審を世界にアピールしたのではないかと思います。なんでそういうふうにしなかったのか、篠原はしゃべれないのか、そういう声もありました。実際は違います、我々が失いかけていた美しい心を篠原は持っていた。人を責める前に、もっと自分に出来ることがあったんじゃないか、そんな思いを持っていたからあのような言葉になったのではないかと思います。我々は柔道を通して、本来あるべき日本の心をもっともっと大事にしていかなければならないと思います。

余談ですが、その後、私はずっと「俺に何かできたのではないか、俺が抗議すれば銀ではなく金になれたのではないか」そんな思いを持ちながら日々を送っておりました。ある日、夜中眠っているときにへんな声が聞こえました。「山下、いいんだよあれで。あれはあれでいいんだ、もう気にするな。篠原がとったメダルは銀じゃないよ、あれはプラチナだよ。そのことだけは忘れるな」そうだ、あの戦いにはプラチナが一番相応しいのかな、そう思います。もう一人私の教え子の井上康生の話もさせていただきたいと思います。

2004年、アテネオリンピックの前の日に筑波大学へ稽古に行きました。パラリンピック代表のグループが集まって稽古をしていたらしいのですが、柔道衣が非常に粗末だったそうです。聞きますと自分たちで柔道衣を買わなければいけない、何の支援もない。そして井上が「パラリンピックの代表選手の方々に柔道衣をプレゼントしたい。同じオリンピック、パラリンピックを目指しているのにあまりにも我々と状況が違いすぎる。可哀想な気がしました。」私は心を打たれ教え子がやるなら私もしなければと、この話を全柔連にしたところ、それはいい話だけど井上とか山下がやる話ではない。あとは全柔連が引き受けるから何も心配しないでくれ。アテネオリンピックでは井上は私たちの期待を大きく裏切りました。力を出し切れず終りました。そして2005年1月の嘉納治五郎杯で優勝したものの大胸筋を痛めまして、元気に回復はしていますが試合には復帰しておりません。普段は優勝しても私に一切電話してこない井上から、嘉納杯で優勝した次の朝、かなり胸は痛むと思いますけど私に電話がかかってきました。めずらしいことがあるもんだと思って電話を取りましたが、「先生、たしか嘉納治五郎杯ではオリンピックのメダリストが全員協力して、新潟県中越地震被災者の方々への募金運動をしてましたよね。私は昨日の試合で優勝してトヨタのマジェスタという車をいただきました。オリンピックで惨敗してからいろんな人に支えられてここまでこられました、私は優勝したことだけで満足です。この車をなんとか被災者の方々に役立てる方法を考えてはいただけませんでしょうか。」話を聞きながら私は涙を流しました。自分が思ってた以上に遥かに人間的にも素晴らしくなっていました。

全柔連では”頑張ろう新潟!”ということで柔道フェスタを催すことになり、みんなと現地へ行きました。野村や阿武も協力し、被災者を励ましたり、柔道教室をやったり、私も講演したりしました。私は柔道というものは、強さを目指していく中にそういう人間を作り上げていくという、素晴らしきものがある、力がある、そう確信しております。しかし、現役を終えて指導者になって、ひとつ気になっていることがあります。柔道人のマナーがだんだん悪くなっているのではないか。学生柔道の大会では大会会長の挨拶の時に、自分達で出したゴミは自分達で持ち帰るようにと、何度も言わなければならない、そういうレベルまで我々のマナーは落ちてしまった気がします。もしかしたら柔道界は、想像ですが東京オリンピック以来、大事な大会で国民の期待が世界の現状を知らないままの期待が大きくて、その期待にこたえられないままにいつも批判を受け我々が試合で勝てる結果だけを求めて、だんだんその中で勝たなければものが言えない、勝つことがすべて、そして創設者が目指した柔道を通した人間教育、この視点がだんだん薄れていったのではないかと思います。私が習ってきた柔道は、私が勉強した嘉納治五郎師範の精神と、どうも柔道界は違ってきている。大事なものを置き忘れているのではないか。そう思っていたときに大変衝撃的なことが熊本で起こりました。

平成13年度のインターハイです。このときの実行委員長をした人が大学の先輩でした。二日目が終った後、先輩は私のところへ来ました。目に涙をためながら言ったことが「山下、柔道は本当に教育か、人づくりか。それを胸張って言えるか。」先輩どうしたんですかと聞くと「熊本ではもう二度と柔道の大会は開催したくない。柔道人のマナーは最低だ。ここだけではない、前年の岐阜で行われた大会でも、もう二度と柔道はごめんと言っている」。昨年の千葉のインターハイの時には、インターハイの前に全チームの監督、選手を前にこの柔道ルネッサンスの話をさせてもらいました。ただそのときは男子の監督会議でした。今は、聞きますと女子のほうがマナーが悪いという話も聞いております。2001年の1月、講道館鏡開きのときに嘉納館長がこう言われました。「21世紀、これから我々柔道人が目指していくのは柔道を通した人づくりだ。人間教育だ。」2001年1月号の巻頭言にもそのようなことを書いておられたと思います。そして嘉納館長の一言から、日本の柔道界、講道館と全柔連が協力して、もう一度、原点に戻ろう、柔道を通した人づくり、人間教育を大事にしていこうと、この柔道ルネッサンスが立ち上がったと私は理解しております。私の大好きな言葉に「伝統」とは形を継承するという意味があります。伝統とはその魂、その精神を継承することを伝統という、そんな言葉があります。ある時、もしかしたら我々柔道人は、試合での勝ち負けだけを求めて素晴らしい「一本」の切れ味だけを求めている。形だけを求めて、一番大事な魂の心を忘れかけたのかもしれません。私はどちらも大事です。今、教育が荒廃している日本の中で、柔道が中心になって青少年の育成、人づくり、これを行っていくべきではないかと考えております。

こんな思いで、2001年秋に始まりました柔道ルネッサンス活動。私は委員会の委員長として多くの人と一緒になって全力で取り組んできました。私には柔道ルネッサンス活動によって実現したい二つの夢があります。ひとつは、子供たちが柔道衣を肩に担いで道場に柔道をしに来る、そんなことに憧れる。私が小さい頃は熊本という土地柄もありますが、同じことを思っていた気がします。そんな時代を必ず多くの人と協力して蘇らせたい、そして柔道をしながらお母さん方が、井戸端会議をやったときに「柔道はサッカーや野球に比べたら面白くないよね、わかんないよね、あまりスタイルもよくないよね。でも柔道をやっている人は違うよね、人づくりよね、人間教育のひとつよね。」柔道人が声高に叫ぶのではなくて、選手の指導者、関係者の姿をみて、多くの人達が柔道は人づくりなんだと思われるような柔道界に力を合わせて進んでいきたい、これがひとつです。

もうひとつは、全国どこでも中学校の荒廃が非常に大きな問題になっております。今、中学校では物を壊したり、周りの人に迷惑をかけたり、困らせたり、騒いだりして人が困るのを喜んでいる。そんな連中がいっぱいいます。何か柔道界ができることはないかということで、中体連の柔道部と協力してやっていこう。悪さばかりしている連中をうまくだまし込み柔道部に入れる。そして彼らの元気をもっと価値ある方向に持っていこうと、これが柔道のひとつひとつから出来るのではないかと思っています。どこの学校にもどこのクラスにも、学校にいけない子供がいます。友達がいない、自信がない、心を閉ざした笑顔を忘れた中学生がどこにでもいます。そういう子供たちにやさしく声をかけて、良かったら一緒に柔道やらないか、柔道を通して友達が出来て、笑顔が戻って自信ができる。これも柔道を強くするのと同じか、それ以上に価値があるのではないかと思います。中学柔道の指導者の方々と連携することによって、少しでも成果を上げることができましたら、いろんな武道、いろんなスポーツと手を組んで一緒になって、今の教育の荒廃からスポーツを通して子供たちを救える、その中心に柔道があると。他のスポーツと柔道は違うんですね、創設者の哲学の中に人づくりが入っているんですね。だから我々は、堂々と胸を張って実践していくことが出来るのではないかと思います。先日、この話を日本サッカー協会の川淵会長にお話ししました。いたく感動されまして、二月六日の日本サッカー協会の理事会で、サッカーを通した道徳教育、子供たちへのサッカー心のプロジェクトが立ち上がりました。いろいろ教えてほしい、サッカーもサッカーだけではない、サッカーを通した健全なプログラムを作っていきたいとお話しされました。

私は国際柔道連盟の教育コーチング理事をやっております。世界を回っておりますが日本みたいな豊かな国だけではないんですね。貧しい国でも教育の荒廃が進んでいるところもあります。私は世界にもっと柔道を広めていくことが、私の役割だと思っています。ただ、柔道がスポーツとして広がるのではなく、柔道が広がることによって日本の心が伝わっていく、それを広めることが私の役割だと思います。日本でルネッサンス活動が成功したら世界の国々に、日本では全柔連と講道館とがこんな活動をしているんだと世界に発信して、世界の国とお互い意見を交換しながら、世界の国々で柔道を通して人づくり、人間教育を進めていきたいと思っています。そういう思いで今、柔道ルネッサンスをやっておりますけど、具体的なこれまでの取り組み、あるいはこれからの我々が目指すものを説明したいと思います。柔道ルネッサンスの総務担当、小志田さんから説明していただきます。

山下氏写真

 

“柔道ルネッサンス”その概要と活動について(小志田氏説明)

1.柔道ルネッサンスは、平成13年に講道館と全日本柔道連盟の合同プロジェクトとして立ち上がりました。当初4つの委員会に分かれておりましてそれぞれのテーマに沿った活動を行っておりました。その活動が一段落したところで平成16年11月に組織改編を行い現在の型に至っております。

目指していること

嘉納師範が掲げた柔道本来の目標、人間教育を広く再認識していただくために
 (1)柔道人のモラルの向上
 (2)人づくりのための柔道の普及
をポイントとして柔道ルネッサンス活動を行ってきました。

具体的なこれまでの柔道ルネッサンスの取り組み
 (1)ポスターの作成、(2)キャッチフレーズの公募、(3)横断幕の作成
 (4)少年少女柔道手帳の作成(今後、配布を目指しているところ)

活動してきたこと

 (1)会場のクリーンアップ活動、(2)大会でのスピーチによる啓発活動、(3)大会プログラム・ポスター・横断幕等による啓発活動、(4)講習会などでのパネル ディスカッションによる啓発活動(平成17年度全中大会での指導者講習会、 ”中学校柔道が目指すもの” その他、新潟県中越地震の被災者支援のための義援金活動、”ガンバロウ新潟”柔道フェスタ(長岡市)等を行ってきました。


各都道府県への展開

 委員会からの一方的な活動ではなく、皆様方からのご意見をお伺いして、相互理解を得ながら1つ1つのプロジェクトを推し進めたいとのことから、各都道府県に柔道ルネッサンス担当者の推薦を依頼いたしました。結果、各都道府県から、ご担当者の推薦及び活動報告(23都道県)をいただくことができました。今後は、新たな展開、内容の拡充を目指しています。
(山下氏)

 各都道府県での柔道ルネッサンス活動に関しましてですが、各都道府県に柔道ルネッサンス委員会が出来る前から独自で熱心に活動に取り組んでいたところもありました。ただ残念ですが、24府県からは活動報告が来ておりません。うちの県ではこんなことをやっていると、お互いに情報交換することも非常に大事だと思います。各県による取り組みがもっと盛んになって欲しいと願っております。もうひとつ、柔道の素晴らしさを授業を通して伝えてほしい。そのためにどうやって中学校に柔道の指導者を送り込むかということを柔道ルネッサンス委員会で検討しております。そしてもうひとつ、学外の指導者を派遣できないか。これも現在真剣に中学柔道の支援として考えています。今後、各都道府県と柔道ルネッサンス委員会との連携は大事だと思っております。これまで山形県がルネッサンス委員会に非常に熱心に取り組んでくれました。嘉納館長から山形県柔道連盟に対して、柔道ルネッサンスの表彰というものをはじめて贈らせていただいたのですが、上から物を押し付けるのではなく、それぞれの柔道人が自ら考えて柔道ルネッサンス活動を起こし、展開していこうと思っておりますのでいろんな意味で先生方のお力添えをいただければ幸いです。若輩者の私が、人生の大先輩方を前にして高いところから大変生意気なことを申しましたが、最後までお聞き下さいまして心から感謝しております。そして、多くの柔道を愛する方々と、柔道がもっともっと発展していくように、微力ではありますが頑張っていきたいと思いますので、ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。


この記事は、平成18年3月17日(金)に開催された講道館段位推薦委託団体会長会議にて、山下泰裕八段からお話をいただきました「柔道ルネッサンスについて」の講演内容です。雑誌「柔道」6月号にも掲載されたものです。